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今夜の番組チェック
ベージュ色のお芋
近所の方から皮の色が薄いベージュ色の薩摩芋を頂いた。千葉の農家をしている親類から送られてきたものだという。
これまでもこの色のお芋は街で見かけたことはあるが、我が家の台所の野菜かごの中に在るのは終戦のころ以来で、私はまた会ったねと、複雑な思いで昔を振り返る。
終戦後、食料の配給の、不足を補うためによく薩摩芋の買出しに行った。知人の経験談を聞いてこの辺にしようかと方面を決め、全然知らない農家に飛び込んで「お芋を売っていただけますか」と言って頼んで買う。
その頃、所帯は別だが同じ東京に住む母、姉、私と三人で待ち合わせて出かけた。今は開発されて繁華な場所になっているが、千葉の幕張や小田急線の綾瀬は田舎で、林や畠が殆どだった。
交通も不便で電車は遅く、この日は朝早くから一日がかりの買出しとなる。駅を降りて畠の中を当ても無く歩き、人が戸外に出ていたり、この家はどうかしらと、思った農家に入って、薩摩芋を売ってくれるかどうか聞いてみる。
さつま芋は其の家によって種類や姿が違う。皮が臙脂色でも中が薄黄色だったり、白かったりする。この頃のお芋は大きく不揃いにでこぼこして器量の悪いのが多かった。何処に行っても、売ってあげますよと、見せられたお芋は味も見ずに買い、持てるだけリュックやカバンに詰めて帰ってきた。若さにかまけて体力ぎりぎりまで持って運んだ其の重さを今も思い出す。
家に帰ってからどんな味のお芋かを、知るのだが、どれも戦前私が食べていたさつま芋より水っぽく大味で美味しくなかった。食料不足で味より量の時代だったのだろう。次こそはもう少しましなお芋に当るかもしれないと期待して、買う家を変えていった。
上等な着物や帯などある人は、農家にそれをお土産に持っていって、お芋の他、米、野菜などを手に入れる人も多かったが、空襲に遭った我々には何も無かった。
戦後すぐ、夫の親類に、友人とアミノ酸醤油の会社を立ち上げた人がいた。原料は人の髪の毛という。其のお醤油を何本か貰ったけれど、姿は醤油だが香りが無く、くせがあってとてもまずい。
『原料、人の髪、の記憶に自信がなく、インターネットで調べると、確かにこの醤油は存在していた』
これを母と姉に味見させると確かにまずいけれど、余っているならそれをお土産に持ってゆこうということになった。
ここと思った家に入り、お土産のお醤油を渡すと機嫌よく売ってくれた。ここのお芋の皮は薄いベージュ色で、中は薄黄色、初めて見るお芋だったが、家で食べてみると今までのお芋より少し味がいいように思った。それから暫くして再び同じ農家を訪ねた。
私達三人が顔を出すと、おばさんが「あの醤油を持ってきた人達ね。あんなもの食えないから捨てたよ」と憎憎しげに言って横を向く。どうしようかと困っていると、私たちの会話を聞いていた小父さんが奥の部屋から出てきて、「そんなこと言わないで売ってあげなよ」と声を出し、なにも無かったように穏やかな態度でお芋を分けてくれた。あんなものしかお土産にするものが無くて、むしろ気の毒と思ったのかもしれない。
自分の家で使いたくないまずい醤油を持っていって、玄関払いをされても仕方が無いのに、罪悪感が無く、三人で再び訪ねて行ったその時の神経は、今考えても、わからない。悠々と食料に困らず暮らしている農家がやたら恵まれて裕福に見えていた時代だ。
現代の頂いたベージュ色のお芋は形も良く、以前と違って格段に美味しかった。
H18/12